愛犬小太郎の死から学んだこと




昨日、愛犬が死んだんですよね(;^ω^)

私のブログの名前の主である小太郎っていうダックスなんですけど。

 

まあ、ケガや病気ではなく、どうやら寿命だったようなので、どこかではホッとしているんですが、それでも思い出はたくさんよみがえってきています。

 

ところがです!!!

 

そんな大切な思い出の詳細を覚えていない、空白の期間が存在することが分かったんですね。


悲しいのに覚えていない それが余計に悲しい

昨日のお風呂とか寝る前とかで、自動的に小太郎との思い出が巡ってくるわけですよ。

 

あ~あの公園いったな

とか

あの時噛まれたな

 

とかね。

 

で、いろいろ回想をめぐらしていたんですが、

最初に飼ったあたりと最後の数年しかでてこないんですよ。

十数年一緒にいたので、もっといろいろあったはずなのに、最初と最後の数年しか主にでてこない・・・

 

 

何でかな?と思って考えたら、

 

その思い出せない期間は死ぬほど酒を飲んでいた期間だったんですよね。

 

飼い始めたころはまだそこまでアル中レベルでもなく、最後の2年ほどは私が断酒している。

そこだけはしっかりと覚えている・・・

 

なんかね~悲しいのに、別の意味で悲しくなってきましてね。

 

それこそ毎日散歩行きまくって色々あったはずなのに、詳細は覚えていないんです。

 

いっつもビール持って散歩してましたからね。いっつも泥酔していましたから・・・

 

死という出来事を素面で感じるということ

ペットを飼っていない方はピンとこないかもしれませんが、

やっぱり家族の一員って感じなんですよね。動物といえどね・・・

 

 

これまで自分にとって大切な人が亡くなったとき、いつも私は酒をあおっていました。

 

悲しさを紛らわすためか、感傷に浸るためか分かりませんが、とにかく飲んで飲んで飲みまくりました。

 

昨日、初めて酒を飲むことなく受け入れた近しいものの死。

 

悪くなかったですよ。飲酒欲求も全く無いですしね。

 

何より、今こうして大切なことを学ぶことができています。

アル中の先輩方が言っていた、

「酒を飲みまくって、大切な人と接していなかったことに死ぬ前に後悔する」

 

ってのは本当なんだろうな、って感じです。

 

私なんて、小太郎と毎日接しまくってたのに、詳細覚えていないですからね・・・

これは自分の息子や妻とのこれからの関係にも言えそうです。

 

あのまま毎日飲んだくれていたら、今回のことと同じく息子や妻との思い出もしっかりとは思い出せず、後悔して死んでいくところでした。

 

まさにアル中の先輩方が言われていること!!!

学びました!!!!

 

 

小太郎が家で死んですぐ、気が付くと私は無心で、そしてやみくもに彼の大好きだった庭の片隅に巨大な穴を掘っていました。

夏の夕暮れ時、大粒の涙を流しながら無言で庭に穴を掘る男の姿は異様だったかもしれません(笑)

 

私に

「これからも酒をやめてた方がいいと思うよ」

って教えてくれた愛犬の小太郎は、その穴の中で静かに眠っています。

 

 
  
 
 
 

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