素面で大切なものの死と向き合う




これまでしっかりと向き合っていなかったんでしょうね(;^ω^)

 

物心ついてから、大切な人を幾人か無くして別れも済ませましたが、

いつも酒を死ぬほど飲んで、頭吹っ飛ばして、泥酔させていました。

 

あの感覚ってやっぱりよくないなっていうか、もったいなかったなって思います。



悲しいと感じる当たり前の感情と向き合えない

昨日の記事でもお伝えしたように

愛犬小太郎の死から学んだこと

 

まあとにかく私にとって大切なものの命が無くなったわけなんですね。

 

で、

その私の感情をずっともう一人の私が観察していたような感じになっているんです。今現在もね。

数年前、幼少時代にとてもお世話になったオジサンが無くなった時、私はずっと飲んでいました。

飲んで飲んで飲みまくって、出棺の時の様子もしっかりとは覚えていないくらい。

その前に無くなった祖父の時もそう。

 

なんか告別式ですら、飲む理由にしていたような気がするくらい、

「今日くらい飲まないとおじさんがうかばれへん」

ってなもんで、ずっと飲んでいました。

 

で、今思い返しても、

確かにあんまり悲しくなかったような気がするんですよね(;^_^A

 

飲んでいたら、いつの間にか告別式とかその後の初七日とか終わっていたというね・・・

 

「故人を偲んで」

とかいいながら、また次の法事的な集まりでも飲むでしょ?

 

もうね~きりないんですよ。我々のんべえだけは。

 

どうしようもないんです(;^_^A

 

今、おじさんの葬式の時を振り返っても、

もっとしっかりとさようならできたのにな

 

って思います。

もっと悲しいとか、ありがとうとか伝えられたと思うんですよね。

一応、悲しい顔をしながら式にでていましたが、
そこにいたのはただの泥酔野郎ですから・・・

 

素面の素晴らしさがここにある

 

愛犬が死んで、

以前だったらもうそれはそれはめちゃめちゃ飲んでいたでしょう(;^_^A

 

朝から晩まで絶やすことなく飲んで、寝てを繰り返すのみ。

 

だって、そりゃ辛いですからね・・・

 

でも、

今素面でその辛さとかを味わったり、思い出に浸ったりしていますが、

これが通常の悲しいという感情なんだな

 

って再認識しています。

 

これを読まれているあなたも、おそらく相当のんべえのはず。

でも、

大切なものの命と別れた時、正体をなくすまで飲むことが果たして追悼になっているのか?

そして何より、

人間として当たり前の感情と向き合っていないということに、自分が死ぬ前に悔いが残っていきそうな気がする。

(永久に泥酔野郎でこれらのことに気づかずに死んでいくのもありますが・・・)

素面で、大切なものの死を受け入れている感じ。

素敵ですよ♪なんか生きているなって実感するんです。

(余談ですが、酒の離脱症状の壁期の時くらいの頭痛が襲ってきてますけどね(笑))

まあ、ちゃんと悲しいとか喪失感とかを味わっているのでしょう♪

 

 

こんな状態なのに飲酒欲求はゼロ♪酒という選択肢がありません(^_-)-☆
(成長したな~俺!(笑))

大切な人が亡くなった時、

「悲しいから覚せい剤でもどうぞ」

っ感じで、悲しくなくさせてあっという間にお別れの会が済んで、

「楽しく見送ることができました」

 

って言っている人がいたらどう思いますか?

 

大切なものの死すらしっかりと向き合えていないなんて可哀そう

って思いません?

 

私(多分あなたも!!)の飲み方は、それと全く変わらないのですよ。

 

素面で自分の素の感情と向き合う。

こんなに素敵なことだったんだって再認識しています♪

 

 

 

 

 

 
  
 
 
 

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