「スリップしてしまいそうです」
「スリップしました」
と言われても
「あ、そうですか」
としか思わない私。なんで、その思考回路になるのか、理由があるのですよ。
その人のために考えているつもりが、そうでないことが世の中には多々ある
同じように、元大酒飲みが酒やめたという私からすると、
スリップしないほうがいいに決まってますが、
するしないは本人の自由。
そこに「やめとき」とか言う権利も義務も何も発生しません。
そして、そうすることが、
その本人にも周りにも、そして自分自身にとってもよくない状態になることが往々にしてあるんですよ。
例えば、私のコミュニティの中で懇意にしている人がスリップして落ちこんだ&なんとか断酒させるために私が奔走するとします。
そこにエネルギー注ぐため、
毎日更新しているブログ、YOUTUBEは止まります。
毎日楽しみにしてくれている方々に迷惑がかかります。
関係ないですからね・・・酒辞めているあなたにとって誰がスリップしようが・・・(笑)
で、もっと残酷な事実なんですが、
人は他人から押し付けられた価値観を受け入れにくいようにできている
んですよ(;^_^A
だから、そのスリップした人に心を込めて、断酒の道に戻そうとしても
逆の力が働いてしまうんです。
私は行ったことないので詳しくは言えませんが、
病院や各自助会からの脱退の動機が、
断酒の強要・強引な説得によるものというのはよく聞く話。
これまでの日本の教育のやり方ではそうだったので、その時代のことを否定するつもりはありませんが、
強要・強制では無理なんですよ。
科学的にも意味ない(どころか逆効果)ってわかったから
教育界、スポーツ界をはじめとする
全分野全世界で体罰が禁止になったんですね・・・
というわけで、知りません
まとめると、
あなたがスリップしようが、誰がスリップしようが、
私は知りません(笑)
「あ~あもったいな、まあまたやるならがんばってくださいね。前よりしんどいけど」
としか思わないし、それも別に言いません。
理由は上記の通り。
そこで言っても、誰のためにもならないんですよ。
これは小学校の先生をしている時に完璧にわかったことなんです。
あいつも助ける、こいつも助ける
では無理なんですね。目の前の子どもたちを見れなくなるから・・・
あなたが、
「誰かと一緒に断酒を」
って思っているとすれば、それは要らないかもしれません。
その誰かがスリップしたら、あなたはその人を止めるんですか?それとも一緒にスリップするんですか??
その労力を、酒無し人生の自分のために使ってください♪
日々、自分のために、自分だけ断酒していることが、
結局誰かのためになっていますよ♪